だって跡部は泣くわたしを好きにはならないから。








 わたしと跡部が付き合い始めたのは、高校2年の時から。自然な流れだったと思う。

 どちらから告白したとか、そういう空気ではなく、なんとなく傍に跡部がいて、跡部の傍にはなんとなくわたしが
いたのだ。お互い、お互いがどういう趣味の持ち主で、心の底ではなにを考えているのかとか、そういうことも
わかってしまうほどだった。付き合い始めた頃から、おっさんおばさんみたいやな、と同級生の関西人に笑われ
たこともあるほどに、落ち着いていた。


 だけど今にしてみれば、あの頃は若かったのだ。お互いのことがよく見えていた分、お互いしか見えていな
かったのだ。それに気付くのは、いつだって全てが過ぎ去ったあとなのだ。






 跡部が海外に行くなんて、冷静に考えてよくよく推敲すれば当たり前のことなのだ。彼という人間は、既に日本
に収まっているべきではなく、もっと世界を知って、もっと世界を回す人間へと成長すべきなのだから。それを、
誰しもが求めていて、誰しもが受け入れる答えなのであろう。何回考えても、出てくる答えは同じなのだから、
この答えは正しいのだろう。受け入れるべきなのだろう。




 空港には見送りにいかないよ、とわたしが呟くと、跡部は「そうか」とだけ答えた。その仕草は、わたしが大好き
だと感じたことのある仕草。短い返事に苛立ちを感じることもあったけれど、今ではそれが彼らしい、とさえ思う
ようになった。無駄に言葉を含まない、簡潔なことば。




「俺は、向こうに行って、お前の恋人でいてやれるとは思わねえ」
「……わかるよ」
「疑いとか、そういう気持ちがあるわけじゃねえってのも、わかるよな」
「うん」
「お前には、お前の生活がある。その全てを、俺に捧げろなんてことも言えねえ」
「うん」




 純粋に、お互いのことだけしか見えていないくらい若くいられたら。
 きっとこういう結論の出し方にはなっていなかっただろう。跡部だってわたしを拘束し切っただろうし、わたしは
遠距離恋愛という道を選んだろう。泣いて縋って、跡部の恋人であることに固執しただろう。それはそれで、ひど
く幸せな道となっただろう。

 だけど、今はそういうことを言える状況じゃない。第一、今回の留学だって、留学なんて名ばかりで、要するに
海外で仕事をするために、現地に居付くということなのだ。その真意が見えないほど、わたしは幼くないし、それ
を隠そうとするほど跡部も間抜けじゃない。


 だって、離れる道を、お互いが選んだのだ。道が違うことを、2人が選択し、決断したのだ。






 待ってるだけじゃ、なにも変わらない。
 だから、わたしは歩かなきゃいけない。嵐の中だろうが、歩かなきゃ目的地にはいつまで経っても着きはしな
い。当たり前なのだ。だって変化を求めるなら、自分自身が変化しなきゃ。一歩でも前に進まなきゃ。ここから
離れなきゃ。

 待つ女、なんて性に合わない。誰とでも良いから遊んでいたい、なんて考えるわけじゃないけど、ただ恋人が
こっちに来るのを待っているだけ、なんてつまらない女じゃ、いつかはどうせ別れてしまう。そういう恋人たちを、
何組も目の当たりにしてきた。恋愛がパターン化されているとは思っていなくても、そういうものなのだと、思う。
自分たちだけが例外なんて、思い込めるほど、若くないのだ。

 年を重ねると、いろいろなことが見えてくるようになる。見えていたはずなのに、気付かなかったことに気付く。
それを今更実感する。それがきっと、本当の意味での歳を取るということなのだ。





 跡部の一挙一動がわたしの心を震わせ、惑わし、揺らめかす。それは一種の快感だとさえ思う。わたしはこう
やって跡部に拘束されてきた。けれど、その糸が解かれる瞬間が来るなんて、思ってもいなかった。予測はして
いたはずなのに。永遠にこの人と付き合っていけるなんて、考えてもいなかったのに。最初から、終わりが来る
ことはわかっていたのに。


 ずっとずっと続く恋だと思っていなかった。強がりでもなんでもなく、そう思っていなかった。いつだって、幸せは
一瞬なのだと分かっていた。なのに、なんで今更になって、こんなにも今までが懐かしく思え、こんなにも跡部を
好きだったことに気付くんだろう? いつでも愛しいと思っていたはずなのに、なんで今更胸が痛くなるんだろう?




「わたしだって、跡部が遠く離れても、跡部だけを好きでいられるなんて、思えない」
「だろうな」
「だけど、多分、未来、跡部にもう一度出会ったら、わたしはまた、跡部に恋をすると思う」




 繋いでいた手を、絡めていた指を、解く時が来た。名残惜しくも思うけれど、未練を残しちゃいけない。
 ただ、それだけ。




 さあ、涙よ止まりなさい。こんな醜い女を、跡部景吾という男が好きになるわけないんだから。
 気丈に振舞って、そして見送るのだ。遥か彼方へ飛ぶ愛しい恋人を。


 きっとわたしは、また跡部に恋をする。その時のために、今別れるだけ。
 解いた手が、またここに戻ってくる。それを期待もせずに待つ。そして、わたしは成長するのだ。また、跡部が
わたしに恋をするために。






/なんか思ってたよりも跡部って書きやすいのかもしれない。/10「遠い国」