コップに水を注ぎ続けていれば溢れ出してしまうように、そうなってしまえばそうなってしまうのだ。





 憂鬱な雨の日を歩く。
 多分それはわたしの目の前を歩く真っ赤な傘を差している女の子もそう思っているのかもしれない。だけど、やっぱりこんなにも傘の色が明るいと、(この人は雨を楽しんでいるんじゃないか)と錯覚してしまう。わたしが愛用しているのは、誕生日にお姉ちゃんから貰った水色のチェックの傘。安物だとはわかっているけれど、長い間使っていればそれなりに愛着が湧いてくるもの。だけど、そうでもなくても、わたしはきっと自ら赤い傘を買う気には、使う気にはならないだろう。


 この子は、多分、自分に赤が似合うことを知っている。
 とても活発で、自分の笑顔がとても魅力的で、且つ効果的であると知っている―――とそんな言い方をしてしまうと、まるでこの子の性格や評判が悪いように聞こえてしまうけれど、実際そんなことはない。むしろ逆。女子男子から人気を博しているのは、その姿もそうだけれど、気取らない性格のおかげもある。容姿端麗、けれど意外なほどに性格はあっけらかんとしている。言葉遣いも大人びているけれど、けれど嫌味ではなくて、周りにいる人間を引き付けるものを持っている。とまあ、つまり完璧なるまでの女子なのだ。計算高いだなんて、あれほどに秀才ならば、それくらいしないほうがおかしいのだろう。


 わかっている。わたしは彼女に憧れている。というよりは、羨望している。いいなあ、と羨んでいる。


「おはようさん」
「あ、仁王」
「返事がつれないのう、朝から」


 つれるもなにも。だって朝から雨で、憂鬱になる日だってあるに決まってるじゃないか。こういう仁王の発言も聡明な彼女だったらわかるものなのか? まあ、別にそれはそれでいいんだけど。―――本当は、よくない、と思うんだけど。

 仁王はネイビーの傘を使っている。淵に赤のラインが入っていて、そういうさり気無さが仁王の持つ物らしいなと思う。もうすぐ11月になり、テニス部が引退してから意外なくらい時間が経った。段々と仁王の肌が白くなっていくことから、時を感じる。あの時も、わたしはこんな気持ちで仁王の横に立っていたような気がする。今までわたしはなにをやっていたのかなあって、考え込んでしまうくらいの時間が経った。


「お熱いの」
「そうだね」
「で、これでええの?」


 いいわけない。全部全部、これでいいわけがない。


 先を越された、とは思わない。わたしと丸井と仁王は、それはもう入学当初から見事なバランスで友達をやっていて、2人が喧嘩して、わたしが仲立ちをしたこともある。仁王が年上の彼女にフラれて凹んでる時は、わたしと丸井で誘ってぱーっと遊んだこともあった。決して、先を越されたわけじゃない。断言したっていい。わたしと丸井はものすごい近い場所にずっといた。

 けれど、丸井は彼女と付き合い始めたのだ。それもひどく楽しそうにわたしと仁王に報告してきて。わたしは最初、なにかの冗談かと思ったほどだった。もしかして、仁王と丸井が組んでわたしとからかおうとしているんじゃないかって思ったくらい。だけど、丸井が報告してきた日から、昼食はわたしと仁王の2人きりで食べることになったし、テニス部の活動が(珍しく)ない日はいつも3人で遊んだりしてたのに、それも彼女とのデートに切り替わった。仁王は年上の彼女にフラれてからは彼女を作らなくなって(それもわたしは心配だけれど)、決まって放課後は仁王と過ごすことになってしまった。テニス部が引退した9月。高等部との練習に混ざるのは早くても年明け後というわけだから、放課後は丸井と仁王とわたしとで遊んだりすぐはずだった―――のに。

 丸井は決して聡明なタイプではないから、彼女と釣り合わなくて、すぐに別れてしまうんじゃないかとも思ったけれど、2人仲睦まじげに歩く姿を幾度も見ていたら、そんな気も失せる。いつもはわざと時間をずらして登下校が被らないようにしているのに、雨はいつもと勝手が違うから、こういうことになる。目の前で、赤い傘とオレンジの傘が並ぶのを見るはめになるのだ。


「丸井、俺とが付き合うてると思ってるらしいけど、否定しとくか?」


 そのオレンジの傘は、わたしと丸井が初めて2人きりで遊んだ時に、わたしが選んだものだってことを、丸井は今でも覚えている? 「安く見えるんじゃね?」と言いながらもわたしが選んだものを迷わずに買ったってことも、覚えてるのかなあ? あの日、丸井が褒めてくれた蝶のネックレスは、わたしの首元で悪戯なくらいに揺れて、わたしは気になって仕方がないよ。

 雨の日を楽しむ人は、人生すらも楽しんでいる。
 そんなことを考えて、馬鹿らしいと思いながらも、目の前の赤い傘、そしてそれに並ぶオレンジの傘を忌々しく思う。自分にまとわりつく湿気もこの気持ちも、全部全部消えてしまえばいいのに、と本気で思った。そして、そんな自分が惨めだとも。仁王、わたしはどこで道を間違えたのか、適当でもいいから答えをください。




/すれ違いまくって、こんなことになる。/23「蝶々」