ディーノさん、と呼ぶと、ん、と返事とも言えないような言葉を返してくる。外は大雨で、わたしは7時からバイトで、今の時間は5時半。まだ大丈夫だけど、このままの状態が続くと、駄目になるような気がする。だらだらとしていると、いつまでもこのままでいたい、と思ってしまう。




「起きてください」
「……あと、少し」




 そう言われてしまえば、わたしはその提案を拒む術を知らない。ああ、どうしよう。ディーノさんはきっとあと15分もすればお腹が空いたと言うだろうし、雨だから洗濯物は乾かないし、買い物にだっていけないし、バイトにも自転車じゃなくて徒歩で行かなきゃいけないし、早めに家を出なければならないし。




 ディーノさんとわたしの関係は、とても危ういものだと、思う。
 恋人と簡単に言ってしまえばそうなのだけれど、それがいつ崩れるかが問題である。いや、どの恋人たちだって大抵はそうだと思うけど、わたしたちはそれが過度というか、なんというか。つり橋を渡るような恋だ。



 相思相愛、だと思う瞬間はある。例えば、いま、とか。
 最初、ディーノさんはこんなにも安心しきったように眠らなかった。わたしが眠るまで、いつまでも起きている人だった。わたしにわがままも言わなかったし、ごねたりもしなかった。それが今では、こうやって人のベッドで眠るくらいにまではなっている。それが、わたしは計り知れない愛情のバロメータだと思う。



 つり橋の恋なら、それはそれでいい。それも悪くはない。
 それが、わたしとディーノさんのかたちなのだと思う。思いついたようにうちにやってくるディーノさんに、いつもよりも丁寧に作ったご飯を食べさせる。いつでも部屋を暖かくして、温かいお風呂を沸かす。シャツにアイロンをかけ、家を出て行くディーノさんを見送る。そういう関係も、悪くはない。使われているのならば、それもそれでいい。友だちには、騙されてるんじゃないの、キープされてる程のいい女だと思われてるんじゃないの、とか言われるけど。それも、それならばいい。



 7時からのバイト。お金を少しずつ貯める。わたしが家から出て行けば、この人はここに残ってわたしのことを待っていてくれるのだろうか。わたしのいない、暗いこの部屋で、わたしの帰りを待つのだろうか。そんなことを期待してはみるものの、やはり有り得ないな、と思う。決してこの人を非難しているわけではない。ただ、そんなことがないことを、理解しているだけだ。だって、この人はとても忙しい人だから。心はゆったりしているように見えて、とても忙しい人だから。



 永遠に続くはずのない恋である。だから、これがいつまでも続けばいいとも思う。矛盾だとは思わない。少しずつタイムリミットを伸ばしていく。それはわたしの用意した食事であったり、温かいお風呂であったり、皺一つないシャツであったり、ディーノさんがわたしの部屋に来るタイミングであったりする。それによって、つり橋を上手く渡っていく。危うかろうかなんだろうが、そうやって過ごしていく。



 ディーノさんが、わたしに甘えるのならば、それはそれでいいのです。



 ただ、横にいるだけだっていい。今だけだっていい。遠くない未来にはここから離れていたっていい。ただ、こうやって今現在、隣にいて、わたしに口付けしようとしている事実だけで、わたしの思考回路は崩れてしまうくらいにぐらぐらとして、甘美な響きでわたしを誘っている。それが脆いものであっても、たまらなく幸せなものである。幸せは常に危うさと表裏一体なのだと、わかっているからこその、幸せなのだと。実感させるのは、多分生涯でこの人だけなのだと思います。だからこそ、わたしから進んでこの人と離別することは難しい。あと少し、と言いたいのはいつだってわたしの方だ。神様、願わくば、あともう少し、このままで。



 大人との恋は、切なく、苦く、甘い匂いがする。
 冷静になれば、それは煙草の匂いだったとか、香水の香りだとか、他の人の残り香だとか、理由はいくらでもつけることができるのに。




/ディーノさんを自分が書く日が来るとは、思わなんだ…/28「神様」