世間は華やいでまさに四月? まさに春? 世界のどこにでも明るい未来があるようで、「まあなんて綺麗なことなんでしょう!」っていう希望溢れる季節が微妙に過ぎた今日この頃。みなさん大部お疲れのようで、溜息なんか大きく吐いてしまって、「前の方が良かった」なんてちらほら聞こえ始めて、なんていうんですか、疲労感が漂っている訳です。過去の自分自身をいくら羨んだって、もうここにそれは戻ってこないわけでしょう? それに気付いているはずなのに、みなさん気付かない素振りをなさっている。浅ましいというよりも、滑稽というよりも、ご苦労様ですと労う気持ちでいっぱいです。


 今までたくさんのアルバイトをしてきましたが(世間で問題になっているフリーターという身分ですから、仕事を選ばずにやってきたわけです)、人間関係はどこも難しいものでした。この前までいたファミレスでは、嫌味を言う先輩面したわたしと同じ立場であるはずのバイトが、店長と恋人であったりしたために、ひどくうんざりすることばかりでしたし、スーパー内の倉庫での荷物運びは、やけに不良ばかりで、いつも危ない話が飛び交っていました(まあ、攘夷であるとか、そういう理由あっての「危ない話」ではなく、ただ単に自分の現状にむしゃくしゃしている八つ当たりだけの「危ない話」でしたが)。

 現在は、コンビニ弁当を作っている工場で、流れ作業のバイトをしています。とても単純で、それでいて難しい。単純と複雑は対義語ですが、両極端にあるわけではない気がします。単純な漢字を書く時はバランスを取り辛いですが、複雑な漢字を書く時は逆に書きやすい、そんな感じです。なによりも単純なのは、人間関係です。あまり人としゃべらない職場なので、勤務時間を守り、遅刻をせず、ただ黙々と作業をこなし、そして定時に帰るだけです。それぞれ、人間と関わることが面倒だという人間が集まっているからこういうことになるのでしょうか。


 わたしは故郷の家を出て江戸に来ました。江戸にはなにがあるのか、と問われれば、江戸には江戸しかありません。なのに、わたしは故郷の母親や父親、兄弟と決別しました。江戸はひどく住みやすいです。わたしの故郷は町全体がわたしのことを見張っているような気がするほどに、わたしのことをすべて知っていました。それが嫌になったのです。誰にも見られず、誰かに見られていることを意識せずに、わたしは生きたい。母親から見合い写真を渡された時に、このままここに留まっていてはいけないと思い、家を、あの街を出ました。そしていわゆるフリーターとなったのです。自分の住むアパートに「」と表札(と言っても大したものではなく、単なる郵便受けのシールですが)と出した時は、それなりに感慨深いものがありました。




 わたしは江戸に来てから、一度だけ他人に頼ったことがありました。まだ故郷から出てきてそう日にちも経たない頃、突然街で体調が悪くなってしまったのです。今思えばあれはいわゆる「人酔い」というやつだったのでしょうが、その頃はなにがなんだかさっぱりわかりませんでした。たくさんの人、人、人、圧迫感、感情、揺れる目線、唇の動き、吐き出されている空気、呼び込みの掛け声、ティッシュ配りのしつこさ、全てが嫌になり、すべてに気持ちが悪くなっていまいました。思わず、その場に座り込んでしまいました。もちろん、誰も声を掛けることはありません。それが、わたしの望んだ江戸だったのですから。

 しかし、そんなわたしに声を掛けた人がいたのです。おい、と掛けられた声。驚いて顔を上げようとしたのですが、あまりの吐き気に顔を動かすことすらできません。大丈夫か、と更に掛けられる声。男性の声で、少し低めでした。答えられずにいると、急に腕を引っ張られました。え、と動揺していると、急にその人はわたしのことを背負いました。

「あ、あの!」
「いいから、黙ってろ」

 そして連れてこられたのは、人気のない公園のベンチでした。「そこで待ってろ」と言うと、彼はどこかへ行ってしまいました。頭が混乱していました。そして、ほんの、ほんの少しですが―――身の危険を感じました。しかし、身体が思うように動きません。しばらくしてから、彼が戻ってきました。手には水とタオルを持っていました。ほら、と言われて、わたしはそれを口に含みました。その時の水の冷たさは、まるで小さい頃に遊んだ川の冷たさと同じでした。そしてわたしは突然、急激なノスタルジーに包み込まれたのです。涙が出てきました。人に優しくされていることに対して、少しでも目の前の人を疑ったことに対して、家族を振り切り故郷を捨ててきて得た江戸での暮らしに対して。全てのことを、急激に後悔し始めてしまいました。わたしは生きるということをして、取り返しのつかないことをしているのです。

 彼は、何も言わず、ただわたしの隣にいました。少ししてわたしは落ち着き、彼の横顔を見ました。彼の髪の毛は銀髪で、目はどこか違うところに行ってしまっているようでした。廃刀令が出されているというのに、腰には木刀が差してありました。ただぼうっとして彼を見ていると、急に彼はこちらを向いて「少しはマシになったか」と尋ねました。「はい」と答えると、そりゃァ良かったと彼は少し笑いました。笑顔とも判別できないくらいに些細な変化でした。とても優しい方なのだと思いました。そして、彼は思いついたように、懐から財布を取り出しました。そして、レシートの裏に、なにやらメモをして、わたしに手渡しました。

「ウチ、万屋っていうのやってんだけど」
「よろづや?」
「何でも屋。まあ、なんかあったら電話して来いよ」

 「道、ここまっすぐ行くと、さっきの大通りに出るから」と言い残して、彼は去っていきました。わたしに説明した道とは別方向に。彼が歩いていくのをただ見ていて、去ってからお礼を言っていないことに気が付きました。先程のレシートには電話番号と「坂田銀時」と書かれていました。そのレシートは、わたしに手渡した水とタオルのレシートで、近くのコンビニで買ったものでした。わたしは、何故かそれを見て、また改めて涙が出ました。そして少し泣いてから、彼が教えてくれた道に向かって歩き出しました。




 あれから2年が経ちました。江戸に出てきてから、もうすぐ3回目の梅雨を迎えるでしょう。
 そして、気付いてしまったのです。わたしは、見えすぎているのだと。


 希望も羨望も苛立ちも干渉も憎悪も恋愛も春も冬も過去も未来も、全て色付いて、ひどく綺麗なものです。それは本人がどう思っているのかではなく、他人から評価するものだと思います。自分自身では容易には見えないものです。ただ、わたしはそれが見えすぎている。どこになにがあるのかさえ見えすぎている。そして、それによって苦悩する人間を嘲笑うなんてできない。わたしはそれによって、苦悩することができないのだから。自分に、綺麗なものが似合わないことを承知してしまっているのです。眩しすぎるから見えないけれど、眩しい物がそこに存在することはくっきりとわかるのです。「坂田銀時」さんもそうでした。彼の存在ははっきりとわかるけれど、眩しすぎてわたしにはひどく不釣合いなのです。

 どこもかしこも人で溢れているわけです。それぞれが胸に希望を抱いているわけです。その中に紛れ込んで、自分も同じく夢を持っていますとか、人に誇れるモノがありますとか、現状がむかついて仕方がないとか、大切な人がいて失いたくないとか、そんな顔をしているのは、どうやらわたしには合わないみたいです。性格よりも、もっと深い部分の問題である気もします。性格を作る、もっと根本的な部位というか、なんというか。感覚? 第六感? ちょっと違う気もしますが、そんな雰囲気の語です。

 本当は誰よりも人と関わっていたいくせに、わたしはそれをしない。できない。臆病だから? それの理由もよくわからないでいます。わからないくせに、拒絶し続けています。そして他人を観察し、ご苦労様だなあなんて思っています。こういう自分が、わたしは大嫌いですが、なおもその思考を続けてしまいます。わたしは取り戻すことが出来ないものをたくさん落としながら生きている。他人を拒絶しているくせに、優しくされると嬉しい。やはり、単純と複雑は極端ではないのでしょう。江戸はとても住みやすい場所ですが、あの時の「坂田銀時」さんの優しさが、今も忘れられずにいます。



 世界の明るさに目を向けられない季節。春の憂鬱。外れてしまった自分自身が一番疲れているのでしょう。
 彼の髪の毛の鈍い光でさえも、見つめることができません。あの時の電話番号の書かれた皺の寄ったレシートは、未だにあの時のタオルと共にわたしの机の上に置いてあるままです。窓から入り込む光がその紙を照らすこともありますが、わたしはそれを手に取ることはできません。



/いつもと違う雰囲気でお送りしましたが、書いていることはいつもと一緒。/20「電話」