風邪なんて、何年ぶりに引いたんだろう。








 あんたもう、面倒だから一人暮らししなさい。
 親にそう言われたのは、高校生リーガーになると言ったときだった。
 サッカー部の寮に住んでいた俺は、部活を辞めるんだったらここから出て行かなきゃな、と思っていた。竹巳
とかは「残っててもいいのに」と言ったけど、俺はそれを笑顔で断った。俺はここを出て行くんだから、だめなん
だって。そう三上先輩に言ったら「おまえもそれなりに成長しやがって」と言った。褒められてるんだかなんなんだ
かわかりやしない。




 それで、親に実家に戻りたいんだけど、という話をしたら、あんたここから学校通うの、と呆れられた。言われ
てから気付いたけど、俺はサッカー推薦で全寮制の武蔵森に入った。だから、実家から学校まで、電車を
乗り継いで2時間かかるなんてことはとっくに忘れていた。




 ただでさえ、Jリーガーになるって言うのに、これ以上忙しくなってどうすんのよ、と母さんは笑った。ああ、じゃ
あどうしようかな、今更一般の寮に入るってのも・・・まあいいけど、と思っていたら、さっきの一言だ。家を出る
ってったって、あんたはもともと寮に入ってたんだし、自炊くらいしなさいよ、とも付け加えて。


「どうせ、ちゃんにも手伝ってもらえるでしょ」


 ああ、そっか。一人暮らしへの不安は、消え去った。









「・・・だからってね、おばさんもわたしに藤代の面倒見さすはどうかと思うわけよ」
「いいじゃん、将来はお嫁さんにって思ってるんだろうし」
「だから、藤代とわたしは恋人じゃないって何回言えばおばさんもわかるのよ」
「いいじゃん、付き合っちゃえば」
「ばか」





 ばか、の一言で終わらせられるのも微妙に寂しいものがあるけど。ぼんやりと考える。本当に、俺と
いつまで経っても宙ぶらりで、どこにも落ち着かない関係だ。人は、幼馴染みと呼ぶけど。






 も、俺と同じでスポーツ推薦で入った。確かにサッカー部は校内でもずば抜けた成績を残してるけど、
の得意種目、女子新体操もなかなかのものだった。もう少しで関東突破、全国大会、なんてレベルだった。
 けど、はいわゆるスポーツ障害で、リタイアした。



 それでも、武蔵森は辞めなかった。学業で学校を見返すくらいになった。元々、頭がいいから、なんて人は言う
けど、俺はが人よりたくさんの努力を積み重ねてることを知っている。だからこそ怪我で新体操辞めるって
聞いた時はショックだった。努力を近くで見てきたから、なおさら。





「藤代、なんか食べたいものある?適当に買ってくるけど」
「あー・・・別に、いいや。さっき買ってきてくれた分で平気」
「そう?ならいいけど、なんか必要になったら、メールして」






 はいつの間にか、俺のことを誠二じゃなくて藤代と呼ぶようになった。普通、男子から苗字呼びになる
もんなんじゃないの?と言われたけど、俺はずっとと呼んでいる。今更、なんて呼ぶ理由もないし。



 不思議なもので、俺とはずっと恋人にはなっていない。幼馴染みという、友達でもなく恋人でもなく、微妙な
ところで行き詰まったままだ。は恋人になるだけが全てだとは思ってないだろうし、今更俺をそういう対象と
しても見れないんだろう。





は、これからどうするの?」
「ん?ちょっと笠井のとこ行くよ。CD貸すって言ってたから」






 と竹巳は、中学の頃からそこそこ仲が良かったけど、高等部に上がってからはそれがエスカレートした。
別に、両方とも俺の大事な人だし、文句を言うつもりもない。でも、最近は俺を通して、竹巳を見てる気が
してならない。俺をフィルターとして、竹巳を見ている気がする。


 それは中学の頃からだったけど、高校に上がってからは、竹巳すらも俺を通してを見ている。二人の壁と
なっているのは、俺なのかもしれない。





 2人とも努力家なのは俺が一番知っていて、2人のいいところも俺が一番知っている。
 だけど、俺の知らない2人のことが多すぎる気がする。見えない。見えない。




 三上先輩は俺と成長したという。渋沢キャプテンだって、そうだ。竹己だってそう言ってくれる。
 だけど、は違う。俺をずっと昔のものとしていう。の中の俺は、いつまで経っても、幼馴染みの俺だ。
それが、心地良いようで、すごく悔しい。





 (昔はここにあったものが、いつかは消えていくのと同じなのかな)
 (それとも、まだ手元にあるのに、見えないだけかな)
 どっちにしろ、俺にとっては残酷だ。








「なあ、、必要なもの、あった」
「ん?なに」






 俺には、が必要だから、竹巳のとこなんか行かないで。
 掠れた声でそう言って、を引き寄せてキスをした。くらくらとする頭の中で、の手首の細さに、異様な
気持ちを覚える。そこにあるのに、ここにはない。俺から逃げていかないで。
 2人が付き合うとなっても、俺には文句を出しようがないけど、それでもここからいなくならないで。



 どうか、どうか、俺から離れないで。






/わがままな王子です。そのくせ勘がいいから困ったものです。