「あれ、高瀬じゃん?」


 久し振り、っていうか高瀬だよね? とが近寄ってきた。は中学の頃よりも髪が伸びて、肌が白くなった。だけどやっぱり笑った顔や声がのそれだ。「おっす」と答えると、はわあ懐かしい、と言葉を零した。


「うわー、なに、高瀬って家この辺だっけ?」
「そうだよ。ていうかこそこっちの方だったのかよ」
「高校入って少ししてから越したの―――はは、お互い気付かなかったね」


 偶然だ。ルーズリーフがないことに気がついて、部活帰りにコンビニに寄ったらたまたまがいた。桐青とは違う紺色のスカートが俺の目の前で揺れた。自転車に乗ろう、としたところを捕まった。自転車を片手に、話を始める。の手にはコンビニの袋に入った雑誌が見える。



「久し振りだねー。野球、相変わらずやってんだ」
「やってるよ」
「桐青のエース! だからね、高瀬は」



 は、過去同じ学校で、同じクラスだった。
 特に接点はなかった。だけど、よく話をした。他愛もないことばかりだ。ただ、仲が良かった。喧嘩もしたし、意見がぶつかることもあった。だけど、多分中学の頃に、本音を一番ぶつけていたのはだった。きっかけというきっかけがあったのかは、覚えていないけれど。


 は、あまり笑わない人間だった。というよりも、感情の出し方が下手だったんだと思う。本当はすごく深く物事を考えて、すごく面白いことをいう人間なのに、それを表現するのが苦手だった。だから多分も俺に一番本音をぶつけていた。


 だけど、付き合うとかそういうことでは考えていなかった。



「この前、新聞で読んだよ」
「え?」
「高瀬の名前。すっごいなあって思った」
「…サンキュ」
「で、彼女とは続いてんの?」




 俺は結局、こいつから逃げたのだ。
 恋人になる選択肢から逃げて、恋人を他に作って、こいつはそれを責めない代わりに、俺から離れていってしまった。逃げたのではなく、置いて行かれたという喪失感でいっぱいだった。




 よくよく考えれば、クラスで話すだけの関係だったのだ。俺は、本当はが俺の家の近所に引っ越してきていたことも気が付いていた。知らないふりをした。会わなければ、結局忘れられると思っていたんだ。だって、俺とは、ただのクラスメイトだった。「ただのクラスメイト」から離れた関係になることを、俺は拒んだ。



 忘れた振りをしていれば、心から消えると思ってた。
 だけど、忘れようと思えば思うほど、その存在を意識してるのは明白だ。
 英単語や歴史なんかは簡単に忘れてしまうのに、なんで忘れたいことは忘れられないんだ。



 いくら化粧しても髪が伸びても体が細くなっても、で、俺は俺で、なにも変わっちゃいないんだと思った。やべ、泣きそうだ。あの頃に戻れたらもっと違う関係だった、なんて考えたくもないことを考えさせられてしまう。ふとした仕草は、あの時のままだ。だけど、今、の指には、きらりと光るものがあって。



 なあ、新聞で俺の名前を見て、どう思った?
 俺が噂で、が近所に引っ越してきたと聞いた時のように、苦しくなったか?


 付き合わなくても、恋人にならなくても、別にいいと思ってた。ただ、こうやって話をできる相手がいれば、それでいいって思ってた。でも実際、は桐青ではない高校に進んで、そこで新しい生活を始めた。繋ぎ止めておきたかった関係すら、消えてしまった。留めておきたい関係は、そのままにしておけばそのままでいられると思っていたのに、消えてしまったのだ。




 じゃあ、あの時、俺がに告白をしていたら  ?





「……別れた」
「ふーん、まあ高瀬ならすぐに彼女できるよ」




 ちげーよ、結局お前のことが忘れられないんだよ。


 変わっていく部分の中に、過去のを見る。それが、いちいち俺を苦しめる。
 自転車がふたりの間にあって、もどかしい。
 いっそのこと、それを倒して、潰して、の手を絡め取ってしまえばいいのに。

 結局なにもできないのは、俺だ。
 そんな俺の隣で、は朗らかに笑う。





 /高瀬には遠回りな恋愛をしてほしいのだ。/16「自転車」