「好きって思う前に、どうしてもいろいろと計算しちゃうのよ」
 観月は意外そうに、目を見開いた。猫みたい、と思った。








「へえ、貴方にそんなことができたんですか」
「・・・そんなことって?」
「計算で感情をコントロールしたり、瞬時に損得を見極められるのかとか、そういう類のことですよ」






 観月は紅茶を口に含んで、「まあまあですね」と小生意気なことを吐き捨てた。
 まあね、観月が普段飲んでいる紅茶よりも劣るかもしれないけど、わたしはここのカフェの紅茶が大好きだ。
 わたしは「あー美味しい」とあてつけがましく言ってやった。






「まあ、とにかく、好きかもって思う相手には彼女がいたりとか、すごく外見がかっこよかったりするわけ」
「はい」
「なんか、それだけで冷めちゃう」
「はい」
「・・・・・・なんか、自分のことを考えて、それで止めちゃう」






 いっつもそうなのだ。
 あ、いいな、と思うと次には、でもな、という否定の言葉が頭の中に流れてくる。それはわたしには無理だと
言うこと。だから、それは憧れの感情に切り替わる。好き、なんて身近に感じられない。






「貴方は、その人自身を見る前に、付加ばかり気にするからでしょう」
「・・・はあ」
「例えるなら、そうですね、この紅茶本来の甘味に着目せず、最初からガムシロップを入れて飲むでしょう」
「・・・・・・」
「そういうことです。そうすれば、インスピレーションだけではなく好きと思える人が現れるでしょう」






 それに、と観月は付け足した。
「結果ばかりを追い求めて、経過のことを考えないからです」
「・・・え?」
「傷付くかも、という予想の中でしか考えていないんです。だから、余計なことばかりを考える。恋に落ちるかも、
という未来のこととしてしか捉えられていないんです。今もその経過に入っているはずなのに」






 紅茶のカップをテーブルに置いて、わたしの目を真っ直ぐに見据える。綺麗だ、と思った。観月は綺麗だなあ。
 言っていることにも筋が通っていて、わたしの中にすんなりそれは馴染む。最初から答えを知っていたように。
まるで、観月がおさらいしてくれているみたいだ。今までのこと。これからどうするべきなのかとか。







「似合わないですよ」
「え?」
「感情を制限するような生き方、貴方には似合わない」
「・・・うん」
「だから、お止めなさい。思うように生きなさい」
「うん」
「それで、正しく苦しむんです。正しく悩みなさい」







 思うように生きなさい。観月の言葉を脳内で何回も繰り返してみる。感情の赴くまま、風の吹くまま、水が
流れるまま。そのままでいいから、と言われているような気もした。じっくりでいいから。焦らなくていいから。
 正しく悩み、正しく苦しむ。そして、正しく恋をする。人を好きになる。ああ、そういうことか。







「観月は」
「なんです?」
「思うままに生きてるの?」
「愚問ですね」
「じゃあ、好きな人いるの?」
「・・・それは、またの機会にしましょう。そろそろ出ますよ」
「あ、ごまかした!」
「ほら、冗談でなく映画に間に合わなくなりますよ」






 観月に促されて時計を見ると、あと少しで映画の開場時間だった。あ、いけない!と急ぐ。
 少しは落ち着きなさい、と観月に窘められる。呆れた顔で。
 (あ、いいな、この瞬間)





 こうやって、観月と2人きりで映画に来たり、他愛無い話をして時間を潰したり。
 こういうの愛っていうのかなあ。その答えはまだまだ出そうにない。観月の横顔に尋ねても答えは出てきそうに
ない。恋を、愛を知っているこの顔は、急に大人びて見えた。
 とりあえず、この一瞬は好きなので、答えは先延ばしにしても大丈夫そうだ。さあ、映画を観に行こう。







/観月は書きにくいけど、書きやすい。/9「横顔」