死んでいることに気付かない幽霊っていうのがこの世にはたくさんいるらしい。







 なんて切ないんだろう。そう思った。
 死んでいることに気付かないということは、いま自分が呼吸をしているのか、なにをしているのか、全てを
喪失してしまっているということなんだ。全てが欠落している世界。そんな世界にいるのに、死んでいることに
気付かない。





 観月はわたしのよくわからない洋書を読んでいる。題名すらも読めない。思わず溜息が零れる。なんでそれを
原本で読めるの、と不思議に思ってしまう。観月とわたしは同じ学校に通っているくせに、全然違う教育を
受けているみたいだ。




「ねえ、観月」
「・・・なんですか」
「その本、面白い?」





 観月はまるで奇妙なものを見るかのように、目を細めてわたしを見た。馬鹿にされてる、と即理解できた。
 まあ、今更ですけどね。





「実に興味深い本ですよ」
「・・・ふうん」
もいつか読んでみるといいでしょう」





 その「いつか」が「いつ」来るかはわかりませんけどね、と付け加えられたような気もする。仕方がないけどさ。
だって、わたしにもその「いつか」が「いつ」かなんて、皆目見当もつかない。その洋書を読む前に、わたしは
日本の文学を読まなければならないのだ。そしてその前に、明日提出の課題をやらなければならないのだ。
 つまるところ、わたしにはやらなければならないことが多すぎるのだ。
 だから、あんな風に、自分が死んでしまった時のことを考えてしまうのだ。






「ねえ、観月」
「なんですか」
「もし、わたしが死んでたらどうする?」






 そうわたしが言ってから、観月は5秒くらい(ほんとはもっと長いかもしれない。わたしは観月と一緒にいると、
時間の感覚がなくなってしまう)わたしを見つめた。それはもう、馬鹿にしたような目線だった。なんかもう、
最初から薄々気付いていた。観月がこういう目でわたしを見るだろうな、ということは。





 予測できることもこの世にはたくさんある。わたしと観月の上でも、それはたくさんある。
 観月はわたしを少し馬鹿にしたように扱うこと。それは心の底からで、それでも観月はわたしを軽蔑している
わけではないこと。観月はわたしの疑問に、ちゃんと答えてくれること。




 観月の目線に殺される、と思ったことはあまただ。物騒な言い回しだけど、ぴったりと当て嵌まる。うわあ、と
思った時にはもう遅い。心の奥の奥までじんじんと響く。ぐわんぐわんと頭が痛い。


 そう、例えば今のように、さっきまでの馬鹿にしたような目線が変わって。








「貴方はここにいますよ」






 わたしの手首を掴んで、そこから熱が混じり合って。観月の瞳からわたしが出て行かない。それはつまり、
わたしの瞳からも観月が出て行かないということ。参ったなあ、と思った。全く、観月には敵わない。







「ねえ、わたしがいなくなったら、探してくれる?」
「そんなこと、あるわけない」
「・・・冷た」
「いなくなる前に、捕まえておきますよ」
「・・・そういうこと、恥ずかしげもなく言うくせにさ、「好き」って絶対観月は言わないよね」
「言ってほしいんですか?」
「うん」





 たまには素直になったっていいじゃないか。観月が驚いたようにわたしを見て、そして戸惑うように目線を
外した。ねえ、こっち向いて、さっきのように、わたしの存在を確かめるように言葉を紡いでよ。
 どうしようもなく不安になる時もある。どっかに消えちゃいたくなるような時もある。だけど、そんな時でも観月は
隣にいるって証明してよ。だから、好きって言って。この手と心を絡みとってよ。



 わたしがこの世界にいるんだと目覚めさせて。その口で、この指で。さあ、今。







/なんだか恥ずかしい夢だな。/17「目覚め」