自分に出来ないことがないなんて思っていた時期が、ひどく懐かしくて堪らない。








 が英語が苦手、だというので、一緒に勉強することになった。今は11月。もうすぐ冬になる。

 中学の頃、実家から東京に来た。テニスのために、ここにいるのだと思っていた頃。自分の身体をルドルフの
勝利のために捧げると決めたあの頃。今では中高と必死にもがき続けた部活動から引退をして、自分からして
みればまだまだ甘いとは思うが、それでも成長した後輩へと引継ぎも終わり、受験へと勉強を積み重ねる今。




「ねえ、ここがよくわからないんだけど……」
「そこはこのパラグラフに着目して考えるんです」
「ここ?」
「そうです」
「もう、長文やだ。なに読んでるのか分からなくなる」




 机に突っ伏すを、「そんなこと言ったって、受験科目から英語はなくならないんです」と窘める。は視
線だけをこちらに向けて、ぼそりと呟く。




「観月の脳を、半分にして見てみたい」
「脳外科にでも就職するつもりですか?」
「わたしは文系だって知ってるじゃん」
「知ってます」




 は、中学の頃から仲良くしている。彼女は部活動には属してはいなかったが、中学の頃一緒にクラス委
員をやってから行事などを通してよく話をするようになった。それから4年近くが経つ訳だけれど、未だにその
交流が途絶えることはない。




「ほんと、観月が羨ましいよ。もちろん、観月が努力してるのは知ってるけど」
「僕も貴方が努力をしているのを知っています」
「なんで同じ努力のはずなのに、同じ結果にならないんだろうね」
「そうですね」
「あーあ、赤澤と勉強するのと観月と勉強するのとじゃ大違いだ」
「……どういう点でですか」
「赤澤とは目線が同じだけど、観月じゃ、センセイとやってるみたい」




 こうやって、会話の随所に赤澤が登場することも、中学の頃からなにも変わっていない。



 2人でそういう話をしたわけじゃない。だけど、自分の中で確信めいたものがある。きっと、は、赤澤が。
 そんなの証拠を尋ねられても返答できない。そういう曖昧なものを自分で認めたくはない。けれど、認めざるを
得ないものが、心の中にずっとある。掻き消せない、気付いてしまった違和感。




 赤澤の長所も短所も、知り尽くしているはずだった。短所よりも長所の方が勝っていて、総じて赤澤が周りから
「いい人」と思われることだって理解できていたし、実感だってしていた。その「周り」の範囲の中に、がいる
ことだって、わかっていた。
 だから、が赤澤のことを好きになったとしても、なんの違和感もないはずなのに。
 なのに、違和感は消えない。




 中学の頃からのとの交流が途絶えることがないのは、恋愛沙汰になっていないからだと断言できる。
 いつか付き合っていたとしたら、こうやってお互いに勉強をし合うこともなかっただろう。たとえ、その付き合い
が今も続いていたとしても、この長年積み上げた穏やかな空気が流れることはなかっただろう。付き合う、とは
そういうことなのだ。




 自分の可能性を信じきれていた頃は、自分はなりたい人間になれるものだと思っていた。
 今思えば、なんて高慢だったのだろう。今は、違う。僕はどう足掻いたって赤澤になれやしない。の隣に
選ばれることは、の心が赤澤を向いているうちは、限りなく可能性は零に近い。

 選ばれなかったとしたら、自分から選びにいけばいいと思っていた自分が、情けなく思う。情けなく思う反面、
羨ましくも思う。現在の自分も、過去の自分のように思っていれば。丸くなったよね、と木更津に笑われる意味も
最近ようやくわかってきた。あの頃の自分は、棘棘しく、自分の内側にばかり目を向けていたのだ。今の自分は
丸くなり、自分の外側のことがよく見えるようになったのだ。

 なにかが見えていなかったあの頃。なにかが見えてしまった現在。
 どちらがよかったのかなんて、比べようがない。現在、見えてしまっているのだから。




 事情を知っている人物(例えば木更津、とか)からしてみれば、この姿はひどく滑稽で、格好の悪いことだろう。
 しかしそれでも、このバランスを崩してしまうことを自分は畏れている。ただその時が来ることがないように、た
だ願うだけで。天秤がどちらかに傾きすぎてしまうことを、ただただ畏れている。




 の隣にいたって、この人の心はここにはない。いくらここが、太陽の光が降り注いで、ひどく気持ちのいい
暖かさであったとしても。風通りがよく、心地よく涼しさが立ち込めても。いくら思っても、の心はここにない。
 それが伝わるから、だからの隣が無性に苛立つのだ。はなんにも気付いちゃいないっていうのに。

 そうして願わくば、時間よそのまま。





/観月のどうしようもない片想いは、書いていておもしろい。/31「陽のあたる場所」