意地を張る時点で、既に捕まっているのかもしれない。








 昔から男子が嫌いだった。馬鹿みたいに騒ぐし、つまらないことでからかうし、なによりもいじめられるし。

 わたしは小学生の頃、ほんの一時期だけど、男子にいじめられた。切り過ぎた前髪を理由に、色々とケチを
つけられた。本当は可愛いスカートが穿きたかったけど、からかわれるのが嫌で我慢をした。可愛い文房具を
揃えたかったけど、男子に触られるのが嫌で我慢した。


 なんでだろう。わたしは別に、男子の気に障るようなことはしていないのに。ただ普通に、頑張って生きてる
だけなのに。なんでこっちが色々と我慢しなくちゃいけないの。ストレスは溜まる一方だった。段々と、一緒に
生活をするだけで、虫酸が走った。笑い声を聞くだけで、吐き気がした。体の一部が触れるだけでも、ぞっと
した。嫌だ、いやだ。



 だから、わたしは武蔵森を受験した。近所の公立で、また3年間男子と過ごすなんでまっぴらごめんだ。
 親はわたしを共学に入れたがった。女子校志望のわたしなりに妥協して、校内別学の武蔵森なら、と親が
言うものだから、受験した。ギリギリ合格だった。寮生活は不安だったけど、親もまあ、と言ってくれた。
 わたしは解放された、と思った。




 2年間は、わたしの望む生活が待っていた。男子部とはあんまり関係がなかったし、なにより勉強について
いけなくなるのが怖くて、なるべく勉強するようにした。たまに、友達に「も彼氏作りなよ」と言われ、何人か
強制的に知り合ったこともあったけど、男子の前では極端に言葉数が少なくなるわたしは、彼氏なんかできる
わけがなかった。作るつもりもなかったし。










 夜、寮を抜け出してコンビニへ向かった。サンダルを突っ掛けて歩く。夜風が涼しい。夏はもうそこまで来て
いて、もうすぐ家に帰れるなあ、とぼんやり考えた。同室のユキちゃんからついでにアイス(スーパーカップ)
買ってきてよ、と頼まれたので、わたしもアイス食べたいなあ、なんてぼんやり考える。舌の上で溶ける甘さを、
わたしは嫌いじゃなかった。だけど、べたつくところがあまり好きじゃない。



 コンビニの前に、男子がいた。それだけでも軽く嫌悪感が体中を走った。男子の黒いTシャツが、闇に溶け
込んで、なんとも言えない雰囲気を醸し出していた。関るまい、と早足でコンビニに入ろうとしたら、「」と
声を掛けられてしまった。聞いた事がある声だったので、振り向く。




「あ、三上か」
「あ、ってなんだよ、ていうか堂々と無視か」
「別に、そういうつもりじゃないけど」



 三上は、わたしが男子部の中で知っている数少ない人物の内の1人だ。他に知ってるのは、渋沢と根岸って
人だけど、どうにもわたしは話し辛い。三上は、一定の距離感を持って接してくれるので、邪険にもしていない。
気が利く人だと思う。というか、空気を読んでくれるというか、なんというか。




「それよりも、寮生が抜け出したら、大目玉じゃねえの」
「三上だってそうじゃん、優秀なサッカー選手がこんなところにいていいんすか」
「・・・別に、優秀なんかじゃねーよ」




 え?と思って三上の顔を見返すと、「こっちの話」と言ってはぐらかした。立ち入れない、と思った。
 三上は「ほら、用あるんじゃねえのかよ」と言ってコンビニに入っていった。後を付いていく。ていうか、別に
三上と一緒に来た訳じゃないんだけど。


 わたしが雑誌のコーナーに行くと、三上は「なに、お前もこういうの興味あんの」とにやにや笑った。
「ていうかね、髪の毛切ろうと思って。もう夏だし、暑いから」
「・・・へえ」
「なに、なんか文句あるの」
「いや、ただ勿体無いと思っただけ」
「・・・え?」
「お前の髪、結構好み」



 そう言って、三上が髪を軽く撫ぜた。いつもなら、身震いがするのに、不思議とそんな気はしなかった。
褒められてるから?いやいや、そんなわたしじゃないでしょうよ。自分自身を見誤ったと思った。
 (そうだきっと夜だからだ)(夜はいつもと違う気分になるからだ)



「本当に切るわけ?」
「・・・まあね、迷ってるんだけど」
「・・・ま、どっちでもいいけどな」


 なんなのよ、と軽く言い返すと、三上は「それだけか?」と雑誌を指差した。
 よくわからない男だ。男というか、人。


「ううん、アイスも買う」
「豪勢だな」
「三上さんに言われたくないですよ」
「どういう意味だ、おい」





 そんな会話を繰り広げながら、アイスコーナーに向かう。スーパーカップとチョコモナカを手にしたわたしを、
怪訝そうに三上は見た。
「・・・なんすか」
「・・・太るぞ」
「ちょ、ふたつ食べるわけじゃないってば」
「ふーん」




 またにやにや笑う三上。ああもう、こういうとこ腹立つなあ。だけど、三上とは何故かかつて感じた拒絶を
思わない。だけど、それはあくまで三上とはあまり関っていないからかもしれないんじゃないかと思う。
 きっと、三上ともっと知り合って、三上の深くまでは立ち入れないと思う。





 会計を済ませて、コンビニから出る。サッカー部専用の寮までは、ここからそう遠くない。女子寮とも方向が
違うから、ここで三上とは別れるな、と思って、じゃあね、と言おうとした。
 すると三上は、そんなわたしの心を読んだのか、「送ってくっつの」と言った。




「え、いいよ、そんなの」
「いいって、ていうか遠慮なんかしてんじゃねえよ、普段はすげえくらいに不躾な態度のくせによ」
「・・・なに、それ」
「いっつもそうだろ、。特に男子?藤代とか結構傷付いてるぞ」
「・・・しょうがないじゃん、男子嫌いなんだから」





 わたしがそれだけ言うと、三上はなにも言わずに歩き始めた。こういうところが、三上は掴めないところだ。
お互い様か、と自分を無理矢理納得させる。
 二人で微妙にずれた距離。保っているのは、なんなのか。未だよくわからない。






 三上は前を歩いていたかと思うと、急にこっちを振り返った。やっぱり、黒のTシャツは闇に溶け込んで、
三上がぼんやりとする。輪郭が掴めない。




「・・・なあ、ちょっといいか」
「・・・なに」
「俺、選抜落ちた」





 え、と言おうとする前に、三上はわたしの手首を掴んで、わたしを引き寄せた。不思議なくらい嫌じゃなかった
ことに、わたしは驚いた。なんで、と信じられなかった。三上じゃなくて、今の状況じゃなくて、わたし自身を。





「男子嫌いって、俺のことも、まだ無理か」





 まだってのは、いつからのこと?出会ってから?わたしが男子を嫌いになったことから?
 三上はわたしを見透かしているの?不公平だ、わたしは、三上も、わたしも、なにもわからなかった。





 三上の奥深くまで、わたしはきっと立ち入れない。わたしは怖いからだ。未だに、男子という存在を。
 心に重く圧し掛かるのは、過去の出来事。きっとつまらないことだったのに、わたしはずっと引きずっている。
 ずっとずっと。心から消えない傷。癒えない。だってわたしは逃げてるから。立ち向かわなきゃ、克服できる
はずがない。

 三上は正直言って怖くない。それよりも、もっと知りたいと思う。
 だって、どきどきした。三上に髪を触れられて。今抱き締められて。今まで感じたことがないほどに、
胸が動いた。これがときめきというか、なんというのか。少し痛い気がしたのは気のせいなのか
 この感覚を、俗になんというのか、わたしも自覚してる。
 だけど、フィルターが消えてくれない。
 ごめん、三上。




 べたべたまとわりつくものは嫌いなのに。しつこいものも、なにもかも。
 わたしが一番、タチが悪い。いい加減、折れればいいのに。この馬鹿、と心でわたしを責める。
 ごめん、三上、まだ認める勇気がない。




 捕まれた腕が熱い。広がることはなく、じわじわと体の芯に染み込んで、少し痛かった。
 かっこわるいな、と三上が笑う声と共に、わたしの身体にするりと入っていった。





/三上がよくわからん。