よく寝る女だ、と付き合い始めてから良く思う。








 よく寝る、というのは一般的な意味合いであって、睡眠をよくとる、ということだ。

 もともと、今日仁王の部屋に来たいとから言い始めたことで。なにが面白いのだか、中学の時の卒業
アルバムがどうしても見たい、とせがまれたのだった。自分自身も、さほど過去に執着があるわけでもないし、
羞恥よりも、こいつがそう言うのならまあええか、と思わされてしまった。

 しかし、とにもかくにもよく寝る人間。卒業アルバムを夢中で見ていたので、自分もちょっかいを出さずに本を
読んでいると、いつの間にかベットに座り込んだまま寝てしまっていた。




 恋人になって、早5ヶ月。長く続いている方だと、思う。
 中学時代、部活も忙しく、付き合ってもまともに構ってやったことなどなかった。それに加えて、相手にさほどの
情を持っていたわけでもなく。自然と別れ、そしてまた自然に誰かが横にいた。そんな生活をしていたなど、目の
前の女は、予想はしているものの、実感として沸いていないだろう。






「(ほんま、よう寝とる)」






 頬を軽く指でつついてみると、少し眉間に皺が寄ったが、起きる気配はない。子どもみたいやのう、となぜか
微笑ましくなる。この子どもみたいな女に、どうしようもないほど執着させられているのだ。
 と一緒にいると、なにもかもを強制されているような気さえするほどに、なにかをさせられてしまう。今まで
考えもしなかった。誰かに対して、これほどに離したくないと思わされるのは。





 だけど、この感情が期限付きであることも、わかっている。
 自分はいつか、に飽きるだろう。愛情を感じなくなるだろう。それをなによりも、自分がわかっている。自分
の性格上、いつまでもひとりの人間に固定することなど、有り得ないのだ。例え、いまの愛情が最上級だったと
しても。なにかをさせられることが、いまは苦痛ではないけれど、その内にそれを苦痛だと思う日が来るのだ。






「・・・ん、仁王?」
「起きたか?」
「ん、起きた。夢見てた」





 起き抜けで口調がはっきりとしない。ますます子どもみたいやのう、とどうしようもなくいとおしく思えた。

 今までの自分は、ヒトを騙し、自分さえをごまかし、そして繕ってきた。器用なフリをしなければ、コート上で支配
されている感覚を覚えてしまう。それはとても自分にとって屈辱だった。支配など、どっちかといえばされるよりも
したい側の人間だと、自覚していたから。テニスだけでなく、どこにいてもそう思うようになったのは、いつからの
ことなのか、よく覚えていない。

 けれど、今の自分は、確実に目の前のこいつに支配されている。なにかをしてあげる、という感覚ではなくて、
なにかをさせられる、という、自分の意志からは程遠い行為だ。




「仁王が、他の女の子と歩いてるの」
「・・・そりゃあ、また」
「夢じゃないみたいだった。・・・でも、なんか普通だった」
「どういうことかわからんよ」
「いつか、そうなるんだろうなあ、って思ってるからかな、受け止められたよ」





 ああ、この人は。
 この人は、本当の自分を理解してくれているのだ。今の幸せが永遠に続くことは、有り得ないのだということ。
それでもまた、この人は自分の横にいようとし続けているのだ。それが、またどうしようもなく愛しい。
 と自分の間に流れるものが、しずかな愛情だとわかっているものの、それはいつか途切れるのだ。




「なに読んでたの?」
「ん? ああ、サガンじゃ」
「『そしていつか僕もまたあなたを愛さなくなるだろう』ってやつね」
「・・・よう、知っとるの」
「好きな映画で、ヒロインが言ってたから。それ以外サガンはなにも知らないけどね」



 一瞬、自分たちのことを言ってるのかと思った。
 できることなら、この時間がずっと続けばいいと自分だって思うし、それはも同じことだろう。だけれど、
そんな不確定な願望を抱いたまま、自分たちは続いていかない。





「さっきね、丸井くんに教えてもらった仁王の元彼女見てた」
「・・・で? どう思った?」
「かわいいひとだけど、わたしの方が、仁王のこと知ってると思うな」
「なんで?」
「だって、いまこんなに近くにいるんだもん」



 たとえ、過去にどれだけ一緒にいようとも。未来に離れてしまうとしても。
 今、隣にいるのは、で。それにどうしようもない甘い眩暈を感じてしまった。幸せは常に離別と隣合わせで
あるとしても、現在はひとつで、それを大切にしようと思っていて。




「まいった」
「なにが?」
「めちゃくちゃ、好いとって、頭おかしくなりそうじゃ」



 抱き締めた体は今までに感じたことのないほどの小ささで、こんなにちっぽけなものに、自分の心とペースが
掻き乱されているのかと思うと、なんだか笑えるほどに自分が情けなく、呆れるほどに自分を過剰評価していた
ことに気付く。


 サガンの一節の意味が、深く突き刺さる。自分はを愛さなくなる時が来るだろう。けれど、それもまた同じ
ことだ。ただそこに時間が流れるだけなのだ。今、ここに時間が流れているように。


 自分が一途にヒトを好きになれるなどと、考えたこともなかった。
 だから、未だにこの幸せが、自分のものであると思えない。
 だから、これがいつか離れていく幸せなのだとわかる。






 (最初で最後なんて、有り得んよ)





 愛している。愛してしまっている。そして愛されている。
 思い上がっていることは重々に承知である。けれど、センチメンタルとはこういうことなのだと、痛いほどに。






/もちろん好きな映画とは、ジョゼと虎と魚たちのことです。わたしの中のイメージの仁王はこんな感じ。
 18「切なさを知る日」