最初から、彼の隣にわたしがいられると決まっていた訳ではなかった。 笹塚さん、と名前を呼ぶと、振り返る姿。いつもと変わらない表情であるのにも関わらず、いつもにも増して不 健康に見えるのは、病院という環境のせいだろうか。それとも、お見舞いに来た、という気持ちがわたしの心の 中にあるからだろうか。窓から差し込む陽は、嫌に明るく、そして眩しく、笹塚さんの髪の毛を輝かせた。 「どうしたの」 「……お見舞いです」 「ああ、ありがとな」 差し出したビニール袋に入っているのは、雑誌。そこのコンビニで買ってきたもの。本当はいらないかな、とも 思ったけど。だってこの人、普通にしてる時ですら食に対して執着心がない。だったら、この人に食品を見舞って も仕方がないと思うのだ。間違ってはいないと思う。 「なんで連絡してくれなかったんですか」 「なにを?」 「……入院してるって」 石垣さんが連絡くれたんです、と伝えると、ああ、と笹塚さんは言った。たったそれだけ。 確かに、恋人ではないわたしに、笹塚さんが日常のことを連絡する義務はない。だから、わたしはこれ以上 追及することができない。ここで泣き叫ぶ事だってできない。 真実はどこにあるんだろう、とわたしが一生懸命目を凝らして見ようとするけど、笹塚さんはわたしが答えを 見つける頃には、既にそこでわたしを待っている。そこで、やられた、と思うのだけれど、同時に笹塚さんはわた しを見て、ああ来たんだ、とでも言わんばかりの顔で迎える。そして、気が付いたらここにはいない。 そしてわたしは慌てて次を探すんだ。次に笹塚さんがいる、真実の元へ。 「わたし、笹塚さんのそういうところが苦手です」 「ああそう。そういうところってのがよくわかんねえけど」 そういうところ、っていうのは、わたしのことを理解してくれているところだ。それが好きだとも思うけど、だけど それがたまらなく苦手なのだ。 どうせ笹塚さんが考えていることはわかる。わたしの中が笹塚さんでいっぱいになってることを、この人は知っ ているのだ。だから、笹塚さんが入院しているとわたしが知れば、わたしの中は笹塚さんに対しての思いで溢れ 人間として生活していく最低限の心の許容量すらもなくなってしまう。それを、この人は自惚れでも何でもなく理 解しているのだ。わたしの、笹塚さんに対する思いの深さを。 笹塚さんは、わたしには見えていないものが見えているようだった。それがわかる瞬間が、わたしをたまらなく 切なくさせ、そしてまたたまらなくいとおしくさせるのだった。 この人は、何事にも執着心を示さない、ように見える。あの事件が、彼を変えてしまったのか、なんてことはわ たしにはわからない。ただあの事件に関することに対しては、彼はこだわる。そして追い求める。その姿を知っ てしまっているから。絶望の元で彼が生きていたことも、わたしは知っているから。キャリアの道を捨て、現場に こだわった彼の姿を、知っているから。逆に言えば、それしか知らないのだけれど、それでも知っているから。 一生、この人の恋人になれることは無いのかもしれない。隣で寄り添い、互いの傷を舐め合うことはできない のかもしれない。それを、切なくも思い、愛しくも思う。だから、片想いが寂しくないのだ。この思いは、既に恋を いう感情を脱していて、憧れに変わってしまっているのだから。 しかし、憧れというのは難儀なもので、彼を理解しきっているように勘違いしてしまう。本当は違うのに。彼の内 面を分かりきっているように思って、実はなんにも見えていないのだ。それすらも、笹塚さんは気付いているのだ ろうか。見透かしているのだろうか。 割に合わない感情だ。こっちは見透かされているのに、相手はなんにも見えやしない。それなのに、こっちば かりが彼を思っている。呼吸が上手く出来ないほどに、思ってしまっている。思いすぎている。焦っているのはこ ちらだけ。、と名前を呼ぶ声。この人は、こんなにも穏やかじゃないか。 (殺したいくらい好きって、こういうことなのかな。) 笹塚さんの目に映るわたしは、ひどく滑稽なことだろう。笹塚さんの白い首筋が、儚くも思え、愛しくも思えて。 もしかして、わたしは心の中の彼に恋をしていて、憧れているのかな。 恋は盲目。右も左も、彼のことすら見えません。 /笹塚さんに対しての愛は溢れんばかりなのに上手く書けないのが歯痒い。設定は大学の後輩。/32「白い首筋」 |