わたしと山本武が初めてキスをしたのは、かれこれ半年前の暑い日に遡る。





 山本は、隣のクラスで、中1のとき同じクラスだった。その時、好きだったの、と訊かれると返答に困る。彼はクラスメイトと形容するのが一番正しい関係だった。会えば挨拶をするし、それなりに会話もするし、席が近ければノートを見せたりもする。わたしは一部の山本ファンのように下心がなかった分、自然に会話ができたのかもしれないし、そんなわたしに山本も気付いていたのかもしれない。


 ただ、下心がなかったというから、好きじゃなかったというわけではなくて。付き合おうとかそんなことはまったくもって考えてはいなかったけれど、好きだなあ、という気持ちは根底に潜んでいた。微妙だな、と自分でも思う。まったく説明し辛いものだ。それは、恋だから? 恋は下心だとは言うけれど、少なくともわたしは山本ファンクラブの人間とは違う部類であると主張したい。









 はっきりと滑舌がいい。そんな山本がわたしの名前を呼ぶ。なあに、なんて野暮なことは言わない。廊下は寒々としている。部活はどうしたのかな、なんてことを思う。一歩ずつ近付いてくる山本。ああ、なんか久しぶりな気がするけど、そうでもないのかな。この人といると、時間の感覚がよくわからない。超高速回転で流れているのか、欠伸が出てしまいそうなほどゆっくり流れているのか。ただ、瞬間であるようで、永遠であるようで。


 人はいないみたい。わたしは少しだけまわりを確認する。まあ、そんなことは山本がとっくに行っていることだろうけど。近付く顔。目をそっと瞑って、唇が落ちてくるのを待つ。その瞬間が、永遠が、ゆるやかだと思う。






 半年前の春。死ぬほど暑かった日。
 わたしはゴールデンウィーク真っ最中の休みだというのに、学校に来ていた。部活動に勤しんでいたからだ。まあ部活といっても美術部だけれど。スケッチを外でしていたら、どうしようもなく喉が渇き、ああこれそろそろ死ぬんじゃないかと自分でも確信し、木陰の水呑場にふらふらになりながら行った。
 そこに、同じく部活で喉が渇いた山本がいたのだ。


 お互い暑かったからかもしれない。頭が朦朧としていたのかもしれない。ついこの前まで寒かったりしていたのに、急激に暑くなったからかもしれない。よお、と声を掛けられて、ども、と返事をした。暑いね、と言うと、そうだな、と返してきた。山本が水を飲む隣の蛇口を捻る。冷たいなあと思う。すぐ隣には山本の顔。不意に目が合う。目が離せない。あつい、あつい、つめたい、いややっぱりあつい。うわ、この人ってやっぱりかっこいいんじゃないか。意識が遠くなる。水は出しっぱなし。それは、山本のだって。太陽が動いて、木の間から陽が差す。日差しが春のものじゃない。ああ、ちょっと。段々と山本の顔が近付いてくる。近付いてくることはわかるのに、理解できるのに動けない。きっと一瞬だったはずなのに、それはスローモーションのように見えて。そして、唇が。





「……なんで?」
「…さあ」




 質問に質問で返すなよ、と思ったけど。







 それから、わたしたちは人目を盗んではキスをするようになった。もう、理由は訊かない。きっと、「さあ」と言われるだけなのだから。というか、軽い女に思われてるのかな。いや、でも、それはお互い様だ。それに、いつだってしてくるのは山本の方からだ。


 ここで言いたいのは、わたしと山本は恋人同士ではない、ということだ。
 わたしだって、まともに考えれば、キスは恋人同士のものだってわかってる。その場のノリで、だったら、あの日の一回でいいはずだってことも。だけど、わたしと山本は、それをする。わかっているのにする。山本がだらしない男なわけじゃない。なぜか、こうすることがわたしたちにとってとても自然なんじゃないかと思うから、かもしれない。口約束の恋人よりも、ずっと意味は深い気がする。だけど、この事実を親友にすら言えてないってことは、わたしはこれを後ろめたいと考えているのだろうか。約束をしたわけでもない、この関係は曖昧なくせにくっきりとわたしの心に確立している。


 これは愛情のキスなのか、同情のキスなのか、哀れみのキスなのか。
 なにもわからない。多分、山本にだって分かってない。だけど、わたしたちは人目を盗んでキスをする。ひどく可笑しい光景だとも、ひどく不可解な光景だとも思う。この関係を、人はなんと呼ぶのだろうか。
 セックスだけの友達なら、セックスフレンドだけど、わたしと山本はそういうことをしたつもりじゃない。


 あの暑い日は、幻だったのかな、なんて思う。互いに夢を見てて、空想の中でしたことを、確かめ合っているのかな、なんて。キスした後に山本が安心したような顔をするのは、そういうことなのかな。ああ、あれは自分の中だけのことじゃなかったんだ、って確かめてるのかな。なんでわたしたちは、お互いに拒んだりしないのかな。これは拒否ではなくて、許容のキスなのかな。すべてを確かめて、否定しないで、許しあってるだけなのかな。

 わたしたちは罪の意識はあるけれど、キスを繰り返す。共有めいている確信。共犯者とはこういうことを言うのかもしれない。誰にもばれないように、罪を重ねる。その罪は、非常に優しいものだと最近は思う。山本だから優しく感じるのかな。山本も、この優しさを感じているのかな。




「……ねえ、いつまで続けるの?」



 わたしは、山本が好きだよ。
 離れた唇。寂寞を感じる。近くにいたって、感じる。それに加えて焦燥感を煽られる山本の表情。わたしは言ってはいけないことを言ってしまったのかな。ずっと心の中では不安に思っていたことなのに。理由は訊かない。わたしにだってわからない。だけど、期限が気になって仕方がない。ねえ、いつまでわたしはここにいられるの? いつからここにはいられなくなるのかなあ。


 約束はいらない。たどたどしい手つきでわたしを触るのならば、それもそれでいい。だけど、そう思っていても、そう割り切ろうとしても、胸の奥のほうがそれを求めるのだ。指と指で繋がれたいと思うのだ。キスがなによりもわたしと山本を繋げる最善の手段だとわかっているのに。これ以上、近づけるかどうかなんて、わかりっこないのに。それこそセックスしか手段はないのかもしれないのに。そういう関係になりたいなんて、思ってないのに。



 山本とのキスは、ほんの一瞬なのに、なによりも山本と繋がっていると実感させられる。実感させられてしまうのだ。この場に彼が存在するのだと、わかってしまう。そして、彼の存在の中に、わたしがいることもわかる。それが一瞬なのか永遠なのかが皆目見当もつかない。


 これが愛情なのかどうかは、わたしにも、多分山本にも、わからないんだけど。
 だから、キスした後に山本と別れると、必ず出る涙の理由も、わからないんだけど。
 なにもわからないのに、それでもわたしたちは繰り返す。不完全なループなのだ。




/こういう話は山本の出番だと思うのです。/14「指きりげんまん」