視界がぼんやりするなあ、と思ったら柳が無言でハンカチを差し出した。
 紳士だなあ、と綺麗に折りたたまれたハンカチを見て思った。









 受け取らないわたしを柳が怪訝そうに見たので「受け取れないよ」と少し笑った。
「なんでだ?」
「・・・だって、汚しちゃうもん」
「いいから使え」







 そういうところも紳士だなあ、と思いながら遠慮なく使わせてもらうことにした。目許を叩くように拭く。ほんとは
ごしごし拭ってしまいたかったけど、それだと柳に申し訳ないほどに汚してしまう可能性がある。それは避けたい
なあと思ったのだ。だって、わたしも一応女の子だし。







「別れたらしいな」
「・・・直球だねまた」
「事実なんだろう」
「まあ、そうだけど」







 もしかしたら、柳は知っていたのかもしれないな。わたしが見ないように必死なっていたのにも、気付いていた
のかもしれないな。それでいて、見ないようにしててくれたのかもしれないな。そう思うと、この、目の前の男は
ものすごく残酷なのに、ものすごく優しい人なのかもしれないな。







 ブン太と別れた。ていうか、正直分かってた。
 だから、ブン太に、他に好きな子がいるって言われても、大丈夫だった。その場では、笑っていられた。
 だけど、柳が視界に入ってきた瞬間、ぶわっと涙が溢れた。ぽろぽろと泣くわたしを見て、柳は全てを察した。
 まったく、柳には敵わない。





 ブン太と付き合う前に、柳から「苦労するぞ」と言われた時は、全然大丈夫だった。
 ブン太と付き合ってる最中にブン太の異変に気付いた時は、まだ大丈夫だった。
 ブン太と別れるときも、大丈夫だった。
 柳の前では、ちょっと駄目だった。







「やっぱり、だめだったなあ」
「・・・」
「なんて、ね、今更言っても仕方ないんだけど、ね」




 はは、なんて空笑いしてみるけど、柳は無言の後、「強がるな」と言った。それはわたしに確実に向けられてい
る言葉で、それがすごく辛かった。柳はなんでもお見通しなのか?






 ブン太と付き合う少し前に、わたしは柳に告白された。わたしはそれを断った。ブン太が好きだったからだ。
ちゃんと、それを伝えた。その時の柳の顔は、なんの動揺もなかった。きっと、わたしがブン太に振られた時と
同じ感じだったんだろう。わかっていたんだろう。聡い柳のことだから。



 柳がわかっていたのは、わたしがブン太を好きなこと、ブン太が他の子を好きなこと、そしてわたしとブン太の
恋の結末まで、なんだろうか。それはわからない。
 わたしは、ブン太の前では全く泣かなかったのに、柳に告白された時も、ブン太に振られて柳が目の前に
現れた時も、泣いてしまった。






 これが友情じゃなくて恋愛だったら、ものすごく楽だったのかもなあ。でも柳を好きになったらなったで辛いこと
はたくさんあるんだろうなあ。というか、こういうことを考えること自体、柳に対して失礼なんだろうなあ。
 (それでも、わたしは楽な道を選べなかったんだよ)(あの時、柳と付き合えなかったんだよ)
 それは、わたしが、きっと、柳を好きだったからだ。それが、ブン太に対する思いと違ったからだ。





 目の前のハンカチが、また見えなくなっていく。それと同時に、柳の顔もぼやけていく。柳はどんな思いでわた
しを見てるんだろう?わたしが今、柳の顔が見えないように、柳からもわたしの顔が見えなければいいのに。
 見えないまま、わたしの姿が柳から消えていけばいい。綺麗事だけど、わたしは切実にそう思った。





 好きにも色んな種類がある。ただそれだけだったこと。
 ただそれだけだったことなのに、なんでこんなにも苦しい思いをしなきゃいけないんだろう?
 ハンカチの緑が、どんどん濃くなっていく。






/柳は好きなんだけど、な。